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青函連絡船記念館・メモリアルシップ摩周丸
青函連絡船は1908(明治41)年の就航から1988(昭和63)年の終航まで、80年にわたって津軽海峡を往来した客船。摩周丸は、八甲田丸・大雪丸・羊蹄丸・十和田丸・空知丸・檜山丸・石狩丸とともに、青函連絡船の最後になる航海を飾った一艘である。
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五稜郭公園
蘭学者・武田斐三郎(たけだあやさぶろう)によって設計・監督された洋式城郭。「五稜郭」は1860(元治1)年に建築され、城内には「箱館奉行所庁舎」があったが解体されている。旧幕府軍と新政府軍の内戦である戊辰戦争、その最後の戦場が「五稜郭」だった。明治時代には堀の水で製氷業がおこなわれ、「函館氷」「五稜郭氷」として首都圏でも販売されていた。大正時代に公園となって一般に開放され、桜の名所でもあり今も市民に親しまれている。国指定の特別史跡。
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トラピスチヌ修道院
1898(明治31)年にフランスから派遣された8人の修道女たちによって創立された女子修道院。正式名は「厳律シトー会天使の聖母大修道院」。上磯町にある「トラピスト修道院」と同系である。現在の建物は、司祭館が1913(大正2)年の建築、聖堂は焼失した明治末期の建物を昭和初期に再建したもの。
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啄木小公園
「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし」「船に酔ひてやさしくなれる いもうとの眼見ゆ 津軽の海を思へば」。1907(明治40)年に、妹ともに故郷の岩手県渋民を出た石川啄木は、文学同人を頼り函館にたどり着いている。「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」など、啄木の唄にはわずか5カ月の滞在ながら函館時代をよんだ歌が多い。「啄木小公園」のあった場所には、かつて啄木が立った大森浜の砂山があった。「砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」。
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ご紹介の観光情報は、函館在住のフリーランスライター・高山潤さん (ものかき工房http://www2.odn.ne.jp/monokaki/)からご提供いただきました。
写真提供=総合広告代理店リアルグロウ
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