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函館山
青空を背景に街を包み込むように立つ函館山は、標高334m・周囲約9km。およそ2500万年前から100万年前にかけての火山活動が、現在の函館山をつくった。もともと函館山は海上の島で、対岸の陸からは独立していたが、土砂が堆積して陸続きとなった。この珍しい地形は「陸繋島(りくけいとう、トンボロ地形)」と呼ばれる。1899(明治32)年から1946(昭和21)年までは、函館山全体が軍事要塞(ようさい)として利用され、今もその遺物を見ることができる。
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旧函館区公会堂
1910(明治43)年に建築された函館を代表する洋風建築、国指定重要文化財。建築費の大部分は、函館地場の豪商によって賄われた。現在の外壁色は、幾層にも重なったペンキの跡を丹念に調査し、建築当時の色合いを再現している。「基坂」「元町公園」に隣接する。
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元町公園
江戸時代から明治時代にかけて役所が置かれた場所。公園からは「基坂」を見おろすことができ、「旧函館区公会堂」を見あげられる。公園内には、1909(明治42)年に建築された「旧北海道庁函館支庁庁舎」と、1880(明治13)年に建築された「旧開拓使函館支庁書籍庫」がある。支庁舎の内部は、1階が観光案内所、2階が函館市写真歴史館となっている。
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ベイエリア(赤レンガ倉庫群)
すっかり観光地として著名になった赤レンガ倉庫が並ぶ景観は、東北北海道で最大の港町だった函館の繁栄を物語っている。飲食施設・ショッピングモール・多目的ホールとして活用されている「金森倉庫1号〜5号」は、それぞれ1909(明治42)年の建築で、イギリス積みという手法でレンガを積んでいる。道路をはさんで隣接する「旧日本郵船倉庫(BAYはこだて)」は、1912(明治45)年の建築で、こちらのレンガはフランス積み。かつては橋の下を艀(はしけ)がくぐり抜けた「七財橋」は、1884(明治17)年の建築。
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立待岬
函館山の南東にある岬。ここ「立待岬」へ続く坂町には、石川啄木一族の墓や与謝野鉄寛・晶子の歌碑などがある。江戸時代末には、外国船警備のための台場(砲台)があり、第二次世界大戦中も軍事要塞として一般人の立ち入りは厳禁だった。函館出身の評論家・亀井勝一郎による函館八景にも「立待岬の満月」が数えられている。
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函館ハリストス正教会
幕末にいち早く開国された函館(当時は箱館)では、日露和親条約を受け1858(安政5)年にはロシア領事が着任しており、ほぼ同時期に当時のロシアの国教であるギリシア正教も上陸している。「ガンガン寺」という愛称で市民から親しまれている聖堂は、1916(大正5)年に建築された二代目となる。国指定の重要文化財。
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外国人墓地
津軽海峡を見わたす函館山の斜面に、遠い母国を想うかのように外国人の墓地が建ちならんでいる。ここへ最初に葬られたのは、ペリー艦隊に乗船していた2人の水兵だった。その後、開港地として函館へ多くの外国人が訪れるようになり、異国の地で命を亡くす者も多くなったことで、開拓使によって正式に外国人の墓地として指定された。
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はこだて明治館
函館での郵便局の歴史は、1872(明治5)年に開拓使郵便局が開設され始まった。「明治館」は、1911(明治44)年に建設された函館郵便局の局舎である。現在はショッピングモールとして活用されている。
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ご紹介の観光情報は、函館在住のフリーランスライター・高山潤さん (ものかき工房http://www2.odn.ne.jp/monokaki/)からご提供いただきました。
写真提供=総合広告代理店リアルグロウ
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